今日から夏の甲子園大会が始まりますのぉ・・・・・・・・・ 暑いさなかの応援及び野球選手・審判の方々大変でしょうな!
選手は悔いのない試合をして頂きたいと思う
山口県代表は高川学園です
甲子園大会ちゅ~たら やはり栄冠は君に輝くぢゃのぉ・・・・・・・・ この歌を聞くと甲子園ちゅ~イメージが刷り込まれちょります
そんでもって栄冠は君に輝く=山崎育三郎さんちゅ~イメージもある やはりNHKのエールの影響か!?
この前葛餅について書いたが 今回はわらび餅
わらび餅 その歴史をたどってみると1000年以上前に遡る わらび餅が誕生した正確な時期は定かではない
しかし遅くとも平安時代にはすでに存在していたといわれている
本来わらび餅はその名のとおりワラビから取れるわらび粉から作られるもの 当時はとても希少で高価なものとされていた
一説には東大寺の僧たちが 若草山のわらび根を採らせ くずのように処理して食したところ美味だったため
砂糖をまぜて茶菓子として提供したことが始まりという言い伝えが残る
山へ赴きわらびを採り小さな根からでんぷんを採るのは非常に手間のかかる作業であり わらび粉は高価な食材とされていた
実は本わらび粉で作ると黒々となる この漆黒こそが本物のわらび餅の特徴
江戸時代にはわらび粉の不足から サツマイモなど他のデンプンが使われるようになり 現在のような透明感のある
わらび餅が一般的になった
そんなみんなに愛される和のスイーツのわらび餅 どこの名産かご存じか?
正解は奈良県 奈良は蕨粉の名産地であった事から奈良の名物となっちょります
夏真っ盛り・・・・・・・ 若い時には仲間と連れ立って海水浴 子供が小さい時にも海水浴
ぢゃが 年齢が行くと海水浴など一切いかなくなる 暑い上海水浴後の後始末も面倒になる おまけに釣り以外
海に行くことすらない 個人的なことはど~でもえ~が・・・・・・・・・・・・・
海水浴ちゅ~たら日焼け 若いうちの日焼けは健康的で躍動感を漂わせるが 年齢が言った人の日焼けは 農業・漁業従事者
もしくは野外での仕事 え~解釈ならゴルフ焼けとかになる
日焼けとは 紫外線を浴びることで起きた皮膚の炎症や皮膚色の変化のこと 皮膚が紫外線を浴びると肌表面に炎症が起きて赤くなる
この時体内では肌を守ろうと 紫外線から皮膚細胞が破壊されるのを防ぐためにメラニン色素を作り出す
この生成されたメラニンは皮膚細胞を守る働きをしてくれるが 一方で皮膚の中に沈着し肌の色を黒くする
これが日焼けのメカニズム
メラニン色素は美白・シミの天敵として女性の中では知られていると思うが 大事な働きをしてくれているのも事実
肌の健康を維持しつつ 健康的な小麦色の肌を作り上げるためには 肌の細胞組織に負担を掛けずに メラニン色素を
定着させていくことが求められる
紫外線にはA波とB波がある B波はサンバーン(日焼けによる肌の炎症)を引き起こし肌にダメージを与える
日焼けした跡があかくなっているのはこのB波の影響 A波はB波のように短時間で肌にダメージを与えることはない
つまり紫外線のB波を防ぎながらA波だけ浴びることで 肌のダメージを抑えながら日焼けをすることができるというわけ
そこで活躍するのがサンオイル サンオイルにはB波を防ぐ成分が入っているので 紫外線による肌へのダメージを軽減しながら
肌を綺麗に焼けるという訳
毎日暑い日が続きますのぉ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山口県は熱中症アラート出っぱなしです
ところで夏の花ちゅ~たら 何をあげますか? 多くの人はひまわりということぢゃろぅ
ぢゃが地味ぢゃけぇど朝顔も夏の花なんぢゃ
朝顔ちゅ~たら 日本も昔からあり馴染み深い花と考えるかも知れんが 実は渡来した花なんぢゃ
朝顔は大きく二つの起源説がある
熱帯アジア原産説
アサガオはヒルガオ科アサガオ属の植物で 熱帯アジアを中心に分布しているため この地域が原産地であると考えられている
熱帯アメリカ原産説
一部の研究では アサガオ属の他の種がアメリカ大陸に分布していることから アサガオの起源もアメリカ大陸である可能性が
あると指摘されている
朝顔は奈良時代(約1200年前)に中国から日本に薬草として伝来 当初は種子が下剤として用いられ 牽牛子(けんごし)と
呼ばれていた その後観賞用としても栽培されるようになり 江戸時代には品種改良が盛んに行われブームとなった
江戸末期の文化・文政期(1804~1830)に第一次朝顔ブームが到来 このブームの発端は1806年に起きた江戸大火
(丙寅の大火)にある この火事により下谷(現在の東京都台東区)に大きな空き地ができた そこで植木職人たちが
品種改良した朝顔を栽培し人々の注目を集めた
特に現代では変化朝顔呼ばれる 一風変わった姿の朝顔が人気を集めたようぢゃ 八重咲きや花びらが細くなっているもの
または一見桔梗にも似た朝顔まで開発された
また江戸後期に活躍した読本作者の曲亭馬琴の記録によると 黄色の朝顔も作られていたようぢゃ
それらの珍しい朝顔は菊などと並んで高値で取引されたとゆ~から当時の朝顔熱は相当のものだった この朝顔ブームに
目を付けたのが収入の低い下級武士たち 独自に朝顔の栽培と品種改良を行い内職していたらしい
朝顔は今では入谷が有名ぢゃ 入谷朝顔市は 東京の下町入谷の鬼子母神周辺で 毎年7月6日から8日に開催される夏の風物詩として
知られる朝顔の市 江戸時代から続く歴史あり 明治時代には入谷が朝顔栽培の中心地として栄えた
戦後に一度途絶えたが 地元有志によって復活し 現在では多くの人で賑わう一大イベントとなっている
拙者も若かりし頃行ったことがある
https://genesis.tou3.com/
本日からこちらでお世話になります 他社からの移行ブログです
今後ともよろしくお願いいたします
ITで読んだ怖い話 |ョ゚Д゚ll))怖ァ・・
実話です
うちの祖母は実家で祈祷をやってた(今は辞めてます) 子供のころから祖母がその手の話をおれに聞かせてくれてた関係で
小・中学生くらいまではおれもふつうに霊とか信じていた でも自分に霊感が全くないことも味方し 高校にあがる頃には
なんとなく信じられなくなって
「霊なんか居ないのに うちのばあちゃんは何で平然と嘘つくんだ? 詐欺師なのか?」
みたいな感じで祖母と若干距離を置くようになっていた 精神的に
そんな状態がだいたい大学二年くらいまでつづいた で 大学二年生のときの話 あるとき母と姉が近くに遊びに来ていて
おれの下宿に泊まることになった 晩飯を奢ってもらい スーパー銭湯いって 帰りにツタヤでDVDを何本か借りて
三人で下宿に戻った
姉がほんとにあった呪いのビデオとかの心霊系のを借りていたので 寝る前にそれを観ることになった 部屋の電気消して
怖いDVDを観た
てきとうに選んだけど内容は当たりだった おれは幽霊を信じていなかったが ホラー映画や心霊特番などを観ると けっきょく
怖くなるだけの素直さは残っていたのだった おれと姉はゾクゾクしながら心霊動画を観た 母は電気を消した五分後には
すでにいびきをかいている
DVDも観終わり灯りをつけて布団を敷きおれたちは床に就いた 母はロフトに敷いてあるおれの布団で寝ており おれと姉は
ひとつの敷布団にタオルケットをかけて一緒に寝ている状態
灯りを落とす おれは妙に寝付けなかった はじめは単純にDVDが怖くてその余韻で 寝れなくなっている状態だったんだけど
だんだん様子がおかしくなってきた 全身にガタガタと震えがきて 冷や汗が大量に出始め体温もどんどん下がっていった
あとキーンという耳鳴りもする こう書くと風邪の初期症状っぽいけど全然違う 頭痛も喉の痛みもないし熱っぽくもないし
意識もはっきりしている
ただただ震えと冷や汗と耳鳴りが止まらなかった とにかく怖い 自分の中にこんな感情があったのかびっくりするほど
おれはびびっていた すぐ隣には姉が居たしロフトには母親も寝ているのに 一人で深夜の廃病院に居るのと同じくらい怖かった
電気つければいいじゃん・・・・という話だけど そのときのおれは明るく照らされた室内もまた怖かった 自分の部屋が全く
知らないやつの部屋みたいに思えてしょうがなかった
「これ 今夜ぜったいに幽霊を見てしまう」
と思いながら おれはタオルケットに潜り込んで姉に寄り添うみたいにして震えた
朝になると昨夜の恐怖は嘘みたいに薄れていた 姉と母に話そうかと思ったけど たぶん馬鹿にされるだけだから黙っておいた
けっきょく霊も見なかったし きっとおれが極度にびびっていただけだなーと納得したのだ
でもふたりが帰ったその翌日にさっそく実家から電話が入った 電話の姉の声はえらく興奮していた
「あんたんとこに泊まった晩さー ばあちゃんが妙に胸騒ぎがしたとかで あんたの部屋を霊視?したらしいんだけど すごいよ!
女の浮遊霊が部屋に入っていたんだって! 自殺した感じの女だったらしいよー」
「なにそれ?いまも居んの?」
「もう出て行ってるって・・・・・・・ ばあちゃんには言えって言われた まだいるんじゃないの ばあちゃんの御札を郵送するから
北側の壁に貼っとけってさ」
おれは電話のあとすぐに友達の家に泊まりに行った 後日ゆうパックで送られてきた御札を おれは言いつけどおり北側の壁に貼り付けた
それ以降 部屋で同じ現象は起こらなかったけど ばあちゃんを信じるには十分な出来事となった
※ちなみに途中三十分くらい布団のまわりを 延々ぐるぐると歩き回る足音を聞いたけどこれは気のせいかどうかいまだに不明