日々のつぶやきです
今から414年前の慶長17年(1612年)4月13日 巌流島の決闘で敗れた
佐々木小次郎
その妻ユキはキリシタンの信者という 当時懐妊中のユキは小次郎の遺髪を抱き
厳しいキリスト教の禁令により多くの信者とともに山陰の地に安全な居所を求めた
ユキはこの地の正法寺に身を寄せ剃髪して尼となり 夫・小次郎の冥福を祈り
菩提を弔うために墓を建て その墓のすぐ下のお堂というか庵で一生を終えたと
いわれている
この庵は正法寺が太用寺に移った跡地に ユキ尼が小さい庵を建てたとも
言われている 我が子に対する因果応報の絆を断ち切るために 小次郎の名を
古志らうと変えて墓に記したとの言い伝えがある 小次郎の墓と並んで
佐々木姓の墓が多くあり 今も佐々木姓を名のる家が地区内に数軒有り
末裔かとも言われている
小次郎の墓の上の段には六面石 一基があり、妻ユキが信じていたバテレン墓と
思われる その隣りには粟屋元吉公の墓があったが 昭和53年に太用寺の
境内に移されている
尚この佐々木小次郎の墓は 山口県
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1890年代後半 ジェームス・ヘドンが池のほとりで何気なく削った木片を投げ込んだ
瞬間 ブラックバスがそれに飛びついた この偶然の出来事が 世界初のウッドプラグ
誕生へとつながる
その後彼はカエルに似せたルアー・フロッグを自作し 1898年に試作を開始
このひらめきが やがてスロープノーズやザラゴッサなど 数々の名作ルアーを生み出す
ヘドン社の伝説へと発展していく こうしてヘドン社の歴史が積み重なっていく
そしてヘドンのスーパーソニックは 1956年から1957年頃に
アメリカで発表された バイブレーションルアーの先駆けとして知られる名作
当初ヘドン社のセールスマンたちが市場投入を強く勧めた際 社内では
懐疑的な意見もあったが 発売されるとヘドン史上最高の初年度売上を
記録するほどの大ヒットとなった
開発には天才ルアーメーカーと呼ばれたコンラッド・ウッドが関わっていた
当時のヘドン副社長であり 著名なフィッシングライターでもあった
ホーマー・サークル氏がプロジェクトを指揮し 自らスーパーソニックと
名付けた
バイブレーター・フィンと呼ばれる設計により 魚が反応する特定の振動を発生させる
仕組みを持っていた 当時ヘドン社はこの振動が生態学的にベイトフィッシュの波動に
近く バスに効果的であることをアピールした
1956年にソニックとスーパーソニックが登場 1958年には 後部に
ソフトプラスチックのテールを備えた ファイテールソニックがラインナップに加わった
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ソメイヨシノ(染井吉野)は 江戸時代末期から明治時代初期にかけて
現在の東京都豊島区駒込にあった 染井村の植木職人によって生み出された
エドヒガンとオオシマザクラの交配種であり 日本中の木がたった1本の
原木から増やされたクローンなのが最大の特徴
他の桜に比べて成長が早く 数年で見事な花を咲かせるため 明治以降の近代化と
ともに全国の学校・公園・河川敷に植樹 全てが同一のDNAを持つクローンで
あるため 同じ地域の木は一斉に咲き一斉に散る この特性が現代のお花見文化や
桜前線の基準となった
このソメイヨシノ 彼の国が済州島が発祥の地などと 訳の分からんことを
言って 大恥かいたことがある 人の手で自然にない物を作り出した種なのに
世界で大恥かいた
こうして江戸後期に花見は大ブームとなり 今現在も続いちょる文化となった
ソメイヨシノの増やし方は主に二つ 2月〜3月オオシマザクラの苗木を
台木にし ソメイヨシノの枝(接ぎ穂)を差し込んで接ぎ木テープで固定
そのまま鉢植えまたは地植えで管理する方法と
6月〜7月(その年伸びた枝)または2月(冬の剪定枝)10〜15cm
程度の枝を切り 切り口を斜めにして2〜3時間水に浸ける
メネデール などの発根剤を切り口に塗り赤玉土や鹿沼土に挿す 土を乾燥させず
半日陰で管理する方法 ただし根付くまでに数か月かかる
これからもソメイヨシノは 日本人により愛され植え続けられていくぢゃろぅ
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